2016年 初夏の北陸路一人旅 Part9 フェエニックス田原町ラインを見る、乗る

第7日目  6月6日 その1

いよいよ今日が今回の旅の最終日です。朝に見てみたいのは今年3月27日からえちぜん鉄道(以降略;えち鉄福井鉄道(同;福鉄)が相互乗り入れを開始した田原町駅です。相互乗り入れ区間は、えち鉄鷲塚針原~田原町6. 0㌔と、福鉄田原町~越前武生20. 9㌔で、「フェニックス田原町ライン」と名づけられました。

DSC_44290017:00  道の駅さかいを出発しましたが、通勤ラッシュの渋滞に巻き込まれました。福井は車社会で朝の通勤時は周辺からの車が市中心部へなだれ込みます。8時までには田原町に着きたいのですが微妙になってきました。鷲塚針原で車を置いておくことも選択肢だったのですが、疲れがたまっていたのか判断を誤りました。
それでも何回も来た道です。抜け道を通って何とか、8:04には着くことが出来ました。
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福島を取り巻いた電車

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先のデジ青【17434】では湯口会員から福島の電鉄線形成について経過が紹介された。図を参考にしてほしい。Aは今も残る飯坂西線、Bは廃線となった飯坂東線で、東線は1925年内に改軌と電化工事が竣工した福島電気鉄道である。梅鉢鉄工所製木造車は車体巾1676粍、車体妻外寸法9690粍、出入口巾610粍、窓寸法縦612×巾735粍、座席巾355粍、屋根高3327粍と、数字を羅列したのはどなたかペーパーモデルを制作してくれないか、との老人の呟きである。台車:梅鉢鉄工所、電動機:芝浦35HP×2、制御器:芝浦単式、制動機:梅鉢手動、空車時重量:7,950kg、最大運転速度:24km/hr、乗客定員42人となっていた。

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2016年 初夏の北陸路一人旅 Part8 富山地方鉄道市内線を撮る

第6日目  6月5日

クローバー会の富山ツアーも盛況で終わりました。朝食後は現地解散です。この後、皆さんは黒部渓谷鉄道の乗車や富山地方鉄道の乗り鉄、撮り鉄に向かわれる方、東京に行かれる方等様々です。私はINUBUSEさんから是非に乗ってこられたらとお薦めを受けた富山地方鉄道市内線に向かうことにしました。前回来た時に撮っていますがまだ乗っていない水戸岡鋭治氏がデザインされた7000形路面電車に乗るのと、富山駅乗り入れをみるのが主たる目的です。

DSC_4254001▲ 8:20 部屋の窓から見ました宇奈月を発車していく3番目のトロッコ列車です。ほぼ満員で新山彦橋を渡っていきました。駅前の旅館街から離れていますが撮影にはもってこいの鉄ちゃんルームです。
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京王帝都現役時代5000系

関東でも最も貧弱で軌道イメージの残っていた京王帝都を他社並みにイメージアップさせた車両として有名で井の頭線3000系に続き連続ローレル賞受賞(京王はその後ローレル賞なし)した車両である。そのスタイルと1968年製造車両からロングシート通勤タイプ車両としては始めて冷房を装備したこともあり「関東の名車」とよく言われるが特に新機軸はなく経済車である。ただ、趣味的に見ると実に多様性に富み、車体巾が2種、モーターも110KW、130KW、150KWの3種があり特に110KWは2700系のものを流用した吊り掛け式であった。台車、冷房装置も試行錯誤の時期であったのか多種多様で数えきれないほどであり編成ごとに特徴があった。ハンサムなこの車両も関三平先生が最近発表された名鉄5200系とよく似た顔でこちらの方が製造も早くその顔をどのようにもらったのかもらっていないのか真偽のほどはわからない。その関先生の描かれた京王帝都5000系にはヒゲがついている。当初ヒゲつきは1967年の撮影では見られたが翌年にはなくなっているので登場後4年間くらいついていたものと思われる。

 

1967.7.9 明大前 特急京王八王子行きヒゲ付きの5779~5703

5070系はその後5100系と形式が変更されたためこの5779は5859と変番され、さらに海を渡って伊予鉄766となった。明大前のこの風景は現在もあまり変化がない。▼s-67.7明大前5779~5703特急京王八王子

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京王帝都5000系の一畑電鉄での姿

宍道湖の畔を走る元京王帝都5000系である。京王時代と異なり編成は短いもののいろいろなカラーと3扉の2扉化や座席のクロスシート化など車両にも変化があり見ていて飽きない。

2014.3.28 宍道湖畔の松江イングリッシュガーデン前-松江温泉間を行く松江温泉行き2112▼s-14.3.28松江しんじ湖2112

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1968.8.2鷹取工

1968年8月2日鷹取工場の廃車蒸機群を、大急ぎで撮影したネガが出てきたので、事のついでにご笑覧に供する。詳細は省略するが仕事で鷹取工を訪ね、辞去の寸前ほんの5分ほどの間に、行き掛けの駄賃として走り回ったのだが、カメラが取材用でワイドレンズ装着だったから、ご覧のように「ともかく撮った」というだけ。48年前である。回送時はメインロッドを外すのが常識で、煙室扉が開けっ放しだったり、デフレクターが無かったりと、いずれも解体待ちの見るからに索漠とした悲しい姿ではある。
68652解体前1968.8.2鷹取工S 続きを読む

2016年 初夏の北陸路一人旅 Part7 黒部渓谷展望ツアーに参加する

DSCN5237004これからが黒部渓谷展望ツアーの開始です。ようやく実感がわき、ワクワク感が高まってきました。まずは黒部渓谷鉄道に乗車して欅平を目指します。

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2016年 初夏の北陸路一人旅 Part6 黒部渓谷展望ツアー参加できるか?

01_パノラマツアー01_パノラマツアー5第5日目  6月4日 その1

黒部渓谷展望ツアーとは宇奈月駅から黒部渓谷鉄道に乗車して終点の欅平駅まで行き、ここから関電の専用列車に乗り換えます。ここから普段は一般の観光客の立ち入る事のできない関西電力施設内の「専用列車」や「トンネル」、「竪坑エレベーター(高低差200m)」の体験と、周辺の白馬鑓ヶ岳、唐松岳などの北アルプスの山々が間近に展望できるといった特別なツアーなのです。

当日にきっぷを買って参加できるものではなく、事前の申し込み支払いが必要です。何といってもまだ通常解放されていない黒四ダムまでつながっている専用軌道に途中までですが乗車出来る事は、鉄ちゃんにとっては大きな魅力です。
毎年初夏から晩秋までの金~月曜日の1日4回、今年は6月3日~11月14日に開催される予定で、各便53名の参加募集をしています。今回は6月4日のクローバー会の富山ツアーに参加しますので、前乗りして初日の3日の参加を申し込みました。 続きを読む

客車の座席―ロングとクロス

カビの生えたような古い写真ばかりを列挙し続けて誠に申し訳ないが、事のついでに国鉄ボギー客車の等級と座席につき、一席ブツことをお許し頂きたい。但し本格的な座席論などではなく、ホンの上っ面だけの茶飲み話程度である。

現在の電車での長距離ないし観光路線、都市間では特に競争が激しい区間などに、乗客優遇=他社線との差別化を目的にクロスシート、特に転換クロス車が投入されている。国鉄→JRの客車(通勤用多客改造車以外)、新幹線は等級にかかわらずすべてクロスである。しかし古くはそうでなかった。以下のような観点からの論及は、不勉強で従前見たことがないが、勿論例外はあっても、三等がクロス、あるいは転換片クロスだったのは、けして乗客優遇などという「優しい心遣い」などではなく、限られた床面に如何に多数の三等乗客を押し込むか、が目的だったと小生は考えている。反面一、二等はゆったりとくつろげるという観点から、ごく少ない例を除き、奥行きの深いロングシートが常識というか、当たり前であった。
九州鉄道イロブ1車輌図
九州鉄道イロブ1形式図(九州鉄道株式会社車輛図)
一二等ともロングシートだが、一等は一人毎にアームレストがある。 続きを読む

武庫之荘界隈と阪急ブレーブス

マルーンさんも認める阪急今津線沿線の有名校の同窓会は高齢の先生の出席し易い武庫之荘で行われた。桜の名所は4月8日では少し遅かったことは前回(2016.6.7デジ青72252「今春の撮影」)報告の通りであるが、もう一つ武庫之荘駅で今昔定点対比を考えていた。昔の撮影をした頃のプロ野球阪急ブレーブスのことと併せて報告したい。

武庫之荘駅での昔の記録は1968年10月17日で高速神戸発大阪梅田行き特急である。この日も西宮球場で行われた阪急-巨人の日本シリーズのPR、案内のため特急列車にヘッドマークが取りつけられていた。よく見ると駅のホーム柵には枕木が利用されており待合室もホームの中ほどにあるだけである。不便な感じもするが何となく昭和の時代の暖かさも感じられる。他の駅も概ねこのようんなのんびりしたものであった。電車は1034-1057の7連で今から見ると古さを感じる車両であるが半鋼製(阪急では全鋼製が多かったが)、吊り掛け車から全金製、カルダン車に発展した最初のグループで非常に近代的車両に思えた。それが、今では2代目1000系ができており時の経過の速さを感じる。ところで7両中前3両が3扉で後ろ4両が4扉であるが駅のアナウンスや乗車位置表示など混乱のないように誘導できていたのだろうか。会社によっては編成された車両のそれぞれの長さや扉の数がマチマチのところも多かったように思う。整列していたのに到着した車両の整列位置に扉がなくてお客は憤慨しながら両サイドの扉に向かって分散していったという話を聞いたことがある。

1068.10.17 高速神戸発大阪梅田行き特急1034▼s-白黒⑥68.10.17武庫之荘1034

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兵庫・鷹取工・高砂工・姫路6

その6に入る前に謹んで前稿の訂正を。加古川で撮影した2軸の救援車の形式をエ790と記したが、現に車体にちゃんとエ749とあるではないか。まさしく80歳目前の耄碌ぶりをさらけ出し、お恥ずかしいやら落ち込むやら。何卒ご寛容ありたい。

2軸木製救援車は最終時点エ740、エ770、エ790の3形式にまとめられ、エ740には旧客車だけでなく貨車からの改造も含まれる。あとの2形式の種車は、手荷物車、郵便車を含めた客車で、妻面に屋根上ランプ着脱作業のためのステップと手摺が残っているものが結構多かった。救援車になってからでも、出動は極めてまれ(本来ない方がいい)だから、屋根石油ランプが生きているものすらあった。加古川のエ749は当然形式740である。お詫びして訂正させて頂きます。

高砂を後にして姫路に。姫新線と播但線にはまだまだ木製客車が健在であった。鷹取工、高砂工に行ったのは先述の通り1955年7月16日だが、姫路はその前後に何回か行っているので、その間に撮影した車輌も一緒にご覧頂くことにする。
ナハ23776室内転換クロス1955.6.2姫路S

ナハ23776大ヒメ姫路1955.6.6S

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「兵庫・鷹取工・高砂工・姫路5」に寄せて

久方ぶりに湯口大先輩のお宝画像が登場し、じっくりと拝見しています。その中で控車ヒ104が紹介されました。釈迦に説法のようで恐縮ながら、控車には航送用と構内用がありました。このヒ104は構内用だと思います。大きな駅や操車場で入換機関車とセットで使われていました。さすがに私はヒ100を見たことはありませんが、ヒ600は写していました。

昭和44年7月28日 津山駅 C58236+ヒ628

昭和44年7月28日 津山駅 C58236+ヒ628

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兵庫・鷹取工・高砂工・姫路5

木次線で盛り上がって、その間丸1か月空いてしまったが、その5を続ける。タイトルに従い高砂工場に行くためには加古川で高砂線への乗り換えが必要である。加古川には機関支区があり、当時まだ複線だった山陽本線鷹取以西は塩屋手前まで、国道2号線に沿い、海側に張り付いて走る。このため台風などの強風時は波をかぶるため電車の運行が止まり、加古川線のC12が客車共急遽出動して神戸―西明石間を臨時代行運転したものである。その後複々線化で海面を埋めて新たに2線分の敷地を確保し、防波堤ができてこのようなことはないし、第一近くに機関車や客車は一切ない。

その加古川に、何故かヒ=控車がいた。これは機関車が入れない可動桟橋などに客貨車を押し込む際、機関車との間の「控え」に使うのが本来だが、桟橋などあるわけない加古川ではどんな使い方をしていたのか、確かめなかった。ご存知の方のご教示をお待ちする。

ヒ104加古川1955.4.22S

ここの救援車は2軸車の形式エ790で、この形式には前身が客車と貨車と2種があり、これは残念だが有蓋貨車の改造である。客車の成れの果てなら板バネが長い。 続きを読む

車体幅狭比べ

乙訓ご老人から名指しがあったからには、この世捨て人とて何ぞ申さねばならん。で、車体幅の狭い比べだが、諸兄もし拙著「花巻電鉄(上中下)」RM LIBRARY176~178をお買い求めいただいておるならば、上巻(176号)23頁をお開き下され。「主要狭幅車輌数値比較表」があって、幅福島交通軌道線(信達軌道←大日本軌道福島支社を改軌電化)の車体幅最大5呎6吋(1,676.4mm)とある。

この電気軌道は動力変更、3呎6吋改軌は鉄道聯隊の演習として実施したのだが、道路横断定規を改定しなかった=できなかったとは、道路の拡幅がなされなかったことに尽きる。軌道での車体幅は、併用する道路の「残り幅」で車体最大幅が決まるから、「へっつい」機関車が牽引していた客車の幅を、電車になっても拡げられなかったのである。

拙著表から福島より狭いものを探すと、沖縄馬車軌道1,440mm、日本硫黄(沼尻=旧耶麻軌道)の最も古い客車1~3が4呎10吋(1,473.2mm)、現在の富士急行が1067mmで開業する以前の冨士電気軌道(軌間2呎6吋)、それに笠間稲荷軌道(軌間2呎)が5呎(1,524mm)、花巻電気の軌道線4、5が5呎3吋(1,600.2mm)とある。動力が人間様の人車軌道では、4呎(1,219mm)程度もザラである。もっとも初期の車輌寸法は呎吋ではなく、尺寸が多いが。

現在でもバリバリ営業中の黒部峡谷鉄道だが、恐らく今では使っていない無蓋貨車改造の開放客車が1,640mm、三井鉱山神岡鉄道(軌間2呎)が1,650mmであった。これらを比較すると、福島交通の1,676mmとは、「3呎6吋の電車」としては著しく狭かったことが分かる。なお明治期―それも早い時点で開業した路面電車は、京都電気鉄道を含め6呎(1,828mm)が多かった。なお常識的な「軽便」では、車輌最大幅=車輌定規最大幅は7呎(2,133.6mm)が大方で、これは地方鉄道建設規程が定めている車輌定規の寸法だからだが、例えば1067mm改軌前での小坂鉄道ディーゼル機関車DC3、4は、勿論特別設計許可を得ていたが2,430mmもあった。

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ところで、日本硫黄沼尻鉄道の無蓋貨車の写真があるので、ご愛嬌にご披露申し上げる。要は40輌あった沼尻名物の硫黄運搬用三枚側無蓋貨車セタなのだが、その最大幅1,540mm、実幅1,4656mm、内法1,390mmを実感頂くだけの目的である。だからなぜか貨車に乗車している若者3名はどうでもいいわけで、その名はプライバシーとして特に秘しておく=詮索も無用である。左の1名が手を下に伸ばしているのは、マイクで録音中なのである。撮影は1964年1月2日であった。

やっと目覚めた福島電鉄の思い出

デジ青【17434】2012年1月13付で須磨の大人から1971年4月12日に廃止となった軌道線について「出番でっせ!」と尻を叩かれた。目下幽閉の身であるので身動きできない、解放後に後塵を浴びさせてもらうとコメントを入れてから4年半近くなる。その間、身辺に……、言い訳が多い気ままな生活を送ってきたことで申し訳ない。そこで福島について思いを寄せてみた結果、、貨物列車が2ケ所から郊外に向けて運行していたことに思い当った。小学生の頃から京阪電車が天満橋~塩小路貨物駅間で貨物電車を走らせているのに興味を持っていたが、1955(昭和30)年6月25日に営業廃止となった。関西では近鉄、南海で残っていたが、両親の出生地、つまり田舎と現在の生活拠点の京都を結び種々雑多な物品が「小口便」と称するもので行きかいしていた。兄の結婚相手は近江八幡の人で、こちらは「飛脚便」で行き交いしていた。祖母は小口便を「チッキ便」と呼んでいたが、その違いはここでは触れない。

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2016年 初夏の北陸路一人旅 Part1 越美北線 その1

備後路の新緑を追った旅の次は6月4日に開催されるクローバー会「富山旅行」参加をまたいでの北陸路の旅を計画しました。北陸路は2011年からほぼ毎年のように訪問していますが初夏の時期は初めてです。田植えも終わり新緑も深まった北陸路を走る電車たちを撮るのが今回の狙いです。今回は移動に便利で宿泊代もかからないぶんしゅう7号に乗って出かけることにしました。
ついでに今まで行っていなかった合掌集落のある白川郷五箇山にも行ってみたい、黒部渓谷鉄道にも初めて乗ってみたいと、その奥に入るパノラマツアーも申し込みました。問題は天候ですが週間予報では雨が降る気配はありません。後は事故がないようにゆっくり行こうと5月31日に出発することにしました。

01_Map_100 続きを読む

今春の撮影

早いもので今年も梅雨の時期となった。鉄道写真も季節を表した作品はその季節のうちに投稿すべきと思う。旬のものは当然時期があることはわかっているのだが、私のデジ青「今春の撮影」は見事な西日本や津軽の桜の連続発表の後で投稿を躊躇しているうちに時期を逸してしまった。興醒めでいまさらとお叱りを受けるのを覚悟で拙作を発表させていただく。

最初のJR相模線はデジ青では一度発表されたことがあるが、地味な路線で話題性に乏しい。昔はC11が貨物を牽引し、気動車も晩年は近郊型のキハ35系であったが何れも撮影したことはない。ただ、この地味なローカル線も私の家からそう遠くはなく相武台下に桜の名所もあり近年は時々出かけている。今回は桜の前に咲き誇った菜の花を題材にしてみた。

2016.3.29 原当麻-下溝 1172F 茅ヶ崎行き クハ205-511 ▼s-16.3.29原当麻-下溝205-511茅ヶ崎行1172F

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出発!ローカル線聞きこみ発見旅

という番組があります。
BSジャパン(BS7)の旅番組ですが、6月13日19:00から今話題の木次線をやります。
内容は男女のタレントが一泊二日の間に全線の名所や名物を10ヶ所見つけるという単純なものですが、普通は下りないだろう駅にも立ち寄るのがおもしろいところです。
さて、木次線ではなにをおもしろいものとして選定するかに興味がわきます。

ちょうど話題沸騰中の「木次線」ですからご案内しました。