電車の話に終始したのでは大井川鐡道元副社長・白井昭さんに申し訳ないので、少し宣伝させて頂く。このところ各地でSLブームとなっているが、その根端となったのは名古屋鉄道から大井川鐡道に派遣された白井昭さんのご努力の賜物である。その白井さんとの縁を作ってくれたのが京阪3000系特急車であった。3000系を追いかけている道中では蒸機牽引列車を無視していたわけでなく、随時カメラを向けていた。蒸機牽引旅客列車を復活運転させたのは1976(昭51)年夏だと伺った。国鉄が蒸気機関車の運転を終えたのは1975年12月で、山口線で不定期列車【山口号】を走らせたのが1979年8月と言うから大井川鐡道の方が早い。この時の苦労話はパソコンで【大井川鉄道の鉄道保存を顧みて・白井昭】を打ち込んでいただくと該当サイトに繋がる。
伊豆急2100系
2015年 西方見聞録 トルコ鉄路の旅 Part4 ブラサのトラムに乗る、撮るⅠ
【 ブレサのトラム 】
紀元前202年に名付けられたブルサはトルコ北西部に位置する町で、オスマン帝国の歴史上最も重要な都市の一つとして、1326年~1365年は首都でもありました。
現在、古都ブレサではトラムT1とT3の2路線が営業していますが、開業は比較的に新しく中心部をループで左回り片方向に結ぶ単線のT1路線(1435㎜ゲージ・6.5㌔)が2011年5月28日、中心部を東西に貫通するT3路線(1000㎜ゲージ・2.5㌔)は2013年10月13日です。T3路線は単線ですが途中に交換所を設置しています。しかし2路線しかないのになぜにゲージが異なっているのでしょうか?
Bursa City 公式HPはこちらです。路線図はこちらです。
2015年 西方見聞録 トルコ鉄路の旅 Part3 イスタンブールから、かつての首都ブラザへ ブラザのメトロに乗る、撮る
2015年 西方見聞録 トルコ鉄路の旅 Part2 シルケジ駅での夜行寝台列車の切符購入
昨夜は爆睡で6時前には目覚めました。今日はイスタンブールから高速フェリーに乗船して、トラムが走るかつての首都・ブラサへと向かいますが、出港は10時と時間があります。ホテルの朝食も7時からですので家内と一緒に朝の散歩に出かけました。
まずは今回の旅でまだ確保できていない鉄道切符の購入です。前回、シルケジ鉄道駅に来た時に販売窓口があるのは確認していましたが、営業時間が分かりませんでした。また高速鉄道の切符販売は確認していましたが、在来線の切符が購入できるかは未確認です。
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函館港まつり その2
(2015年)8月2日は 函館港まつりのパレードが行われる日ですが 朝から雨模様です。
パレードには函館ハイカラ號30形39号と花電車 装1号、装2号、装3号が参加予定ですが花電車はその構造上雨の日は走れませんので気になります。
駒場車庫の5~7番線では親子見学会?のようでした。
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【特報】総本家青信号特派員氏、ラジオへ進出!
さる筋からの情報ですが、ラジオに出演される様です。
★放送日:9月26日(土曜日)
★放送局:KBS京都ラジオ(周波数:1143KHz)
★番組名:羽川英樹の土曜は旅気分(08:30~12:00)
★ご登場予定枠:11時30分から、約15分間
【注記】
特派員氏の信者の方は斎戒沐浴し、ラヂヲの前に正座して拝聴致しませう。
【お願い】
KBS京都ラジオは、近畿圏でしか聴取出来ません。関東在住の方々から「聞きたい」との希望が出ると思われます。
奇特な方に、同番組の録音を、お願い申し上げる次第です。
2015年 西方見聞録 トルコ鉄路の旅 Part1 旅立ち トランジットの難点、トルコのSIMカード
今回の西方見聞録の旅は、トルコ鉄路の訪問です。昨年、東欧バルト諸国(ボスニア・クロアチア・セルビア・ブルガリア)を訪問して、トルコのイスタンブールから帰国しました。また、今年2月にはルーマニアとハンガリーのブタベストを訪問しました。今回は昨年のイスタンブールから始め、トルコ鉄道の夜行寝台列車乗り鉄旅を楽しみ、トルコ内陸部を訪れます。昨年7月にようやくイスタンブール近郊まで延伸開業した高速鉄道の乗車と各地のトラム、トルコ最後の蒸気機関車撮影が目的です。
▲ 青色がトルコ鉄道(TCDD)の路線、緑色は高速鉄道(YHK)路線です。
【 トルコ鉄道 】
トルコの国土面積は日本の約2倍、トルコ鉄道の総延長は約11,000㌔、開業は日本の1872年(明治5年)より早いオスマン帝国時代の1856年(安政3年)で、今から159年前でした。最初の開業区間は地中海に面したトルコ西方のイズミル~アイドゥンの130㌔。イギリスの会社によって建設営業され、以降はフランス・ドイツも加わって外国によっての建設が進められていきました。
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函館港まつり その1
函館港まつりが今年(2015年)も8月1日(土)から5日(水)まで開催されました。
花電車が運行されるとのことで8月1日と2日に行ってきました。
今回は青函トンネル経由特急白鳥で行きましたので まず函館駅のキハ183系とモハ789系の並びからご覧ください。北海道新幹線の開業が2016年3月26日と発表されましたので798系の白鳥もその時点で廃止されそうです。
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現役鉄道同好会のイベント出展について
デジ青ではご無沙汰しておりました奈良の駅名研究家です。
さて、いよいよ本格的に秋シーズンの到来です。秋は現役生にとって多忙な時期となります。今秋も例年同様、あちらこちらの会場で「DRFC」の文字を拝見できると思います。
次回は10月3日(土)・4日(日)の船場鉄道フェステイバルです。ご家族、お知り合い等を連れてぜひご来場ください。
・船場鉄道フェスティバル
実施日:10月3日(土)・4日(日)
場所:船場センタービル 6号館2階(本町駅と堺筋本町駅のちょうど中間に位置しています)
内容:鉄道模型走行展示、青信号(最新号)の予約販売、青信号(バックナンバー)の販売
こちらもご覧ください→同志社大学鉄道同好会公式ホームページ
私の動画撮影(桜の季節)
大井川を渡る列車の紹介
大井川には水力発電所が沿線のそこかしこにあり、その建設で鉄道が敷かれたことで知られている。JRになった後も金谷駅構内で接続箇所があった。それが面白い事に折り返し用の引き込み線がトンネル内まで伸びていた。最近直通列車が設定されておらず、レイルの接続は解除されたように思う。構内配線の観察などがうわの空の老人は、本年(2015年)5月のイベント?では気にもしなかった。大井川鐡道の列車は金谷駅の一端から出入しているが、その単線はしばらく草陰に並行しており見え隠れするが、次駅新金谷方面には下り坂となっている。それがレベルとなると左折して大代川を渡る。左折地点(先の写真では311+511の編成)では東海道線とは5Mぐらいの高低差がありが、その先が今回の撮影地としての紹介点となり近くに踏切ありで、大代川沿い道路からも上がりやすい地点である。
近鉄吉野線と伊賀線の写真
乙訓の長老様が大井川鉄道で走っている近鉄吉野特急の写真を見て、写真を探してみたが意外と撮っていないもである。中学生の時に飛鳥ハイキングで橘寺駅(今の飛鳥駅)付近でオリンパスペンS(ハーフサイズカメラ)で撮ったものがあったが、見事に正面の真ん中に電柱がかぶっている写真がほとんどで見せられるものでない。昭和49年3月に吉野へ行った時の写真があった。吉野駅で撮ったものである。そして伊賀線であるが昭和48年の10月に伊賀線に行ってみようや、ということでその時の写真であるが不適切な露出なのか印画紙に焼き付けたが出来が悪く3枚しかプリントしていない。今までお蔵入りしていた写真がデジタル画像処理のおかげで見ることができるようになったのである。
名鉄8800系
川根路に 関西の特急車3社で4種そろい踏み!
京阪3000系が走りだすと共に元近鉄特急車であった1編成は、外部塗色を元の特急色に戻すことになった。1996年訪問時、新金谷工場は塗装下地作業に追われていた。翌1997年関西の電車ファンの一部で話題となっていた近鉄南大阪線の特急車が、大井川鐡道に到着したとの報を得て老人が訪ねたのは8月13日午後であった。岳南鉄道に京王3000系が入線したとの情報も得ており、新幹線新富士経由で吉原へ、そこで金谷へ急いだ。先ず近鉄特急の留置先を運転手に聞いて直行だ。千頭駅ではお馴染みとなった留置線に出向いて【びっくり!】した。
先頭車16001号の特急標識の上には貼り札がある。それを見た時「日本制輪子工業所有車」の文字にびっくりしたのだ。阪急2800系が廃車になったとき、どこやらのブレーキシューメーカーが【阪急と富山地鉄】との橋渡しをしたらしいが、阪急京都線特急は高速で酷使されており車体に緩みが生じており、京阪3000系に変更になったそうだ、との噂話を耳にしていた。その時は部品メーカーが廃車物件に手を出すなんて信じられない話で、終戦直後の喉から手が出るほどに車両不足の時代なら分かるとして、経済成長時代では「あほかいな」と一笑に付される話が本当にあるのかと、わが目を疑ったものだ。その後、伏木あたりのスクラップ(リサイクル)業者がJR車両の解体をしているのをテレビで見たが、こうした業者が一枚噛んだのかな? それで使用済みのブレーキシューの後始末屋の出番となったのかな? 真相はわからない。どんな背景を担いで近鉄特急がやって来たのか、だれか教えて下さーい!
津山扇形機関車庫が活況
旧津山機関区の扇形庫は現存する扇形庫のなかで梅小路に次いで2番目に収容力が大きい(17線)クラとして 経産省の近代化産業遺産、日本の近代化土木遺産、岡山県の近代化遺産に指定されています。ターンテーブルも現役で使われています。そして庫内に保存されている車両も次々と増えています。今回 更にDD16304が加わったようです。昨日の中国新聞井笠・おかやま版に紹介記事がありました。
川根路を京阪特急が走っていた!
1994年春に新金谷に送られた京阪3008+3507編成は、1995年盆休みに走っていなかったと先のデジ青【63160】に投稿したが、実は走っていた。ここに皆さんにまたもや【お詫び】でございます。年を取るとあれこれと思い出す事があり、澤村君から聞いた話が残っていたようで1995年末に運転開始との情報が染みついていたようだ。実は1995年8月12日撮影のフィルムが先日出て来たのだが、3000系の姿があった。それは京阪特急を待ち受ける時は田野口駅から下流の橋を対岸へ渡り、川沿いで西日を迎え輝くはずのシーンであった。当日は早朝の新幹線乗継で新富士へ、岳南鉄道で2時間ばかり時間をつぶし浜松行きで金屋へ、連絡の大井川鐡道線で田野口に向かったのだ。対岸に渡ってみたが川巾広く2両編成では遥かなたとなる事が分かり、諦めて橋の手すりにもたれての1枚となった。
JFEスチール福山製鉄所専用線のDL
JR山陽本線東福山駅から分岐してJFEスチール福山製鉄所に至る3.8Kmの専用鉄道があります。この存在は以前から知っていましたが、走行写真を撮ったことがありませんでした。最近になってようやくダイヤが判明したため今朝初めて出かけてみました。但し不定期運行のため 空振りに終わることも覚悟で出かけました。しかし普段の行いが良いせいか、ほぼ予想した時刻に走ってくれて 初めて走行写真を撮影することができました。
東福山駅は1966年(S41)に貨物駅として開業し、1979年(S54)に旅客営業が始まった駅です。広い貨物ヤードの端にこの専用線の3線(到着線、機回し線、出発線)があります。最初にこの出発線を覗くと、レール専用のチキが8両 空車で留置されていましたので、多分今日はこの空チキを取りに来るのではないかと期待感がふくらみました。
本年2月に新聞記事の紹介のかたちでこの専用線のことを紹介しましたが、国内のレール生産は新日鉄八幡とここJFE福山の2ケ所です。全世界でも4ケ所でしか生産されていないそうですから、大半は船積みされて輸出されるのですが国内向けはチキに積んで全国に配送されるようです。この専用線の撮影地点は非常に限られます。製鉄所構内を出るとすぐトンネルに入り、トンネルを抜けるとすぐに鉄橋で国道2号線をオーバークロスし、山陽本線に沿って東福山駅に入って行きます。撮影場所はこの山陽線沿いの直線区間しかありません。事前の情報では製鉄所発7:55 東福山着8:05、戻りは東福山発8:20、製鉄所着8:35と聞いていましたので ワクワクしながら待ちました。7:56に 遠くに見える場内信号機が赤から黄に変わったので、これは来るに違いないと待っていると 単機回送がやってきました。
山崎を走った夏の臨時列車 -5-
波動時の臨時列車
今回までは、夏ならではの海水浴、リゾート行きの臨時列車が中心だったが、シリーズの最後は、夏の波動時の臨時列車を列挙してみよう。昭和末期は、帰省休暇も分散化されておらず、盆を中心にした一極集中の傾向があった時代だから、九州へ向かう臨時夜行列車も多く運転されていた。
▲東海道の老舗急行「銀河」にも、臨時が運転されていた。写真は「銀河83号」、14系座席車をEF65PFが牽いている(平成2年8月)。この時代、首都圏~関西は、夜行バスが台頭し始めていたものの、まだ列車需要が高かった時代で、年によっては、最ピーク時にもう一本運転されて、定期と合わせて3往復体制の時もあった。臨時「銀河」の歴史をたどると昭和45年頃から走り始めているようで、年によっては、品川発着になったり、大阪、京都と行き先が変わったりしながらも、臨時列車としては息長く運転されたが、結局、臨時「銀河」は、定期の廃止より前の平成10年限りで運転を止めている。
江若鉄道の思い出 -高島展- 開催中
今春、大津市歴史博物館で開催された「江若鉄道の思い出」展は好評のうちに幕を閉じましたが、このたび、江若鉄道のもう一つの地元である高島市に会場を移し、「江若鉄道の思い出-高島展-」が、高島市安曇川町の「藤樹の里文化芸術会館」で開かれています。会期はわずか8日間のみ、忘れないよう、ぜひ足を運んでください。
江若鉄道の思い出ー高島展ー
会期 9月5日(土)~13日(日) 9~17時 7日(月)は休館
会場 藤樹の里文化芸術会館(JR湖西線安曇川駅下車、東へ徒歩15分)
今回の展示は、大津市歴史博物館の展示の中から、高島市内の写真を中心に再構成し、さらに新しい写真も追加しています。もちろん西村さんの高島町、白鬚のジオラマも再展示、クローバー会有志は、開催初日の9月5日(土)、見学に向かいました。
▲午前10時前、JR湖西線安曇川駅に集まった7人は、クルマに分乗して会場へ。想像していたより広くて明るい会場、充実した展示に目を見張った。天井も高く、ゆったりした気分で見学することができた。当時、鉄道と言えば江若しかなかった高島市のこと、江若への思いは、さらに強いものがあるだろう。三々五々、来場された方々は、食い入るように写真の一点一点を観覧されていた。さて、新しく展示されたなかで、注目は本会会員の大阪通信員さんの撮影になる「近江今津の風景」だ。全点カラー撮影である点が特徴で、車両の塗色や、駅前に並ぶバスやクルマまでもがカラーでよみがえり、終着駅の雰囲気を伝えている。当時から財を成し贅を尽くされた大阪通信員さんらしい写真展となった。