関 三平氏の「昭和の電車」は、小田急SE車、近鉄ビスカー、名鉄パノラマカーと続いたので、次は東武の1720系あたりかと予想していたところ、都電5500形であった。
ちなみに今週は名古屋市電800形で、暫く路面電車の高性能車が続くのだろうか。
5500形は5501~5507の7両在籍したが、関 三平氏、乙訓の長老が書かれておられる通り本物のPCCは、WH社のパテントを買って作られた5501のみで、他の6両は国産の技術で作られたWN駆動、間接自動制御の高性能車である。
昭和28年頃PCCの研究のためアメリカからGEタイプとWHタイプ各1両輸入する予定にしていたところ、国産技術で製作可能という意見があったため輸入を取り止め国産することになった。
交通局ではPCCとは別に、WN駆動の高性能車の研究を進めており、27年度製の6000形のラストナンバーを試作車として車体を日本車輌、電機部品を三菱、台車を住友に発注したが、電機部品、台車は先に完成し、車体の完成が遅れていた。
一方PCCの方は部品の製作に時間がかかり、こちらも完成が遅れていた。交通局では広報活動で新型車の導入を告知していたため、完成を遅らせる訳にはいかず、ナニワ工機で急遽新型車と同じ車体を新製し、車体の完成が遅れていた純国産の高性能試作車の足回りを組み合わせて28年11月に完成させたのが、5502である。
5501は半年後の29年5月に完成したが、機器が特殊であることと、コントローラーが足踏式と従来の車両とは取扱が大幅に異なるため稼働率は低かったが、35年7月入場時に通常のものと取替えられた。
純国産の高性能車は車体が完成したものの足回りを5502に取られてしまったため、同じものを改めて新製して29年2月に完成したのが6501である。
車体のサイズは6000形と同じであるが、スタイルは正面2枚窓となり足回りが大幅に変わったため新形式になった。
30年11月から12月にかけて5502をベースにした5503~5507の5両増備され、1系統品川駅~上野駅間で使用された。
42年12月9日、第一次撤去に伴う1系統廃止時に全車廃車になり、この時6501も同時に廃車になった。
5501は解体を免れ、当初上野公園で保存されていたが、屋外展示のため荒廃が進み、平成2年荒川車庫に移された。平成19年5月荒川車庫の隣に作られた「都電おもいで広場」に移され、土、日、祝日に一般公開されている。
車内はギャラリーとして使用するため座席は撤去されているが、片方(道路側)の運転台は登場時のペダル式に復元されている。
「都電おもいで広場」に保存されている5501/ (20-9-27)
平成20年9月29日【345】「都電荒川線の日」記念イベントで使用した画像を再掲する。
復元された運転台/右からアクセル、ブレーキ、デットマンペダルと並ぶ。
高輪北町~品川駅前間を走行する5504/ (42-3-26)
品川駅前に到着した5506 / (42-3-26)
銀座2丁目~京橋間を走行する6501/ 諸川 久氏撮影 (39-1-1)
東京都交通局が独自に開発したWN駆動、間接自動制御の高性能車。車体完成時に先に完成した足回りを5502に取られたため、改めて足回りを新製した。
車体のサイズは6000形と同じである。
都電5500形が完成した昭和30年前後は、戦後の路面電車の最盛期で、各都市では盛んに高性能車の研究が進められていた。
直角カルダン駆動、間接自動制御の大阪市電3001形、神戸市電1151形もほぼ同時期に登場している。京都市電は間接自動制御であったが駆動方式は従来の吊掛式であった。
6501の画像を解説する上で、どうしても掲載したく、諸川 久氏にご相談申し上げた処、快く貴重な画像をご提供いただいた。厚く御礼申し上げる。