台湾今昔日記さぼっておりましたが、今回とあと1回ご辛抱下さい。
<3月24日> 台北⇒高鉄台中(新烏日)⇒台中⇒高鉄(新烏日)⇒板橋⇒山佳⇒桃園⇒台北
この日からは単独行動である。今回の旅行の初日(3月20日)は台中駅だけの撮影であったので台中駅から南下した烏日方面で昔(1968年3月)撮影した場所が気になり、再度高鉄で台中に向かった。線路に沿った大きな道路を歩き始めたが、やはり風景が激変している。雨が降ってきたこともあり、諦め気分になってきた。途中で自家用車に乗り込もうとする私の半分くらいの年齢の人に例によって古い写真を見せた。英語がよくできる人で車で2~3分走った盛土上の線路に登る小道を案内してくれた。単なる線路への小道であった。この場所で1~2枚撮るには撮ったが、私の意図した場所ではないので完全に諦めることにした。御礼を申し上げたがこの人はお医者さんであった。台中と烏日の間には大慶という駅ができており、単線が複線化され、さらに高架化工事中であるため、場所がわからなくなっていることは再三述べた。唯一カーブしている場所を電車から撮影してみた。その場所が多分当時の観光号を撮影した場所であろうとして古い写真と比べてみたが、何れにしても長い年月を経たことだけは事実である。
2013.3.24 大慶付近 南下する韓国大宇製区間電車500系の先に左カーブが見える↓
1968.3.23 台中~烏日 米国GM製R63牽引2車次高雄発台北行き観光号 上の写真奥にあるカーブがこの場所ではないかと思われる。↓
1968.3.23 台中~烏日 R12牽引77車次基隆発彰化行き 日本製で12両在籍。日本国鉄でDF91という試作車で登場。調子がよくなくローカル列車を担当していた。↓
1968.3.24台中~烏日 北上貨物牽引DT681 DT650(D51)形は37両在籍した。このDT681はテンダーが船底型で所謂戦時設計スタイルである。↓
台中での新旧対比撮影を早々と諦め再び高鉄で台北の一つ手前の板橋に向かった。ここは台鉄、高鉄ともに地下化されており、台中以上に対比撮影が無理なことはわかっていた。何か昔の痕跡でも発見できないかと下車したが、これまた無理であった。現在の板橋駅の駅ビルと昔の板橋駅を見比べていただきたい。当時、ここで私は記念に人力車を運転する私自身と突然現れた蛇を撮影している。とても考えられない板橋付近の現在の姿である。






















































































